映画「クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代」公式サイト » KEYWORD


芸術家カンパニー

クリムトが弟のエルンストや学友と共に結成。ブルグ劇場やウィーン美術史美術館など、ウィーン市内の建築内部の壁画を手掛けた。



ウィーン分離派

1897年にクリムトをリーダーとして、当時のアカデミズムを代表するウィーン美術家協会から独立、脱退したメンバーで構成。絵画や彫刻に加え、デザインや工芸、建築といった芸術の諸分野を一体化する総合芸術の構築、海外の同時代芸術の展示、紹介を目指した。



ウィーン工房

1903年、実業家のフリッツ・ヴェルンドルファーとウィーン分離派のコロマン・モーザー、ヨーゼフ・ホフマンにより創立。応用芸術としての美術工芸品の再評価と、芸術家の発想を職人の技術が具体化する実用品の美学を追求した。



黄金様式

クリムト作品の魅力のひとつにあるのが、金をふんだんに用いた豪華絢爛な表現。クリムトは古代エジプト壁画やギリシャ陶器、中世の金地の板絵、ビザンティンのモザイク等に学んだだけでなく、日本の浮世絵や、琳派、上方文様などの日本美術から影響を受け、物理的に輝く素材を初期の頃から取り入れていた。背景や衣服の模様に施された金は、描かれた人物を現実を超越した存在として浮き上がらせる効果を持つ。



コロマン・モーザー

絵画、インテリア、家具、ステンドグラス、本の装丁、ポスター、ファッションデザインなど様々な分野で活躍。1900年、ウィーン美術学校の教授になり、03年には銀行家フリッツ・ヴェルンドルファーやヨーゼフ・ホフマンと共にウィーン工房を設立。工房の中心になって活躍した。



オットー・ワーグナー

建築家。代表作のウィーンの郵便貯金局は鋼鉄とガラスの総合、明快な空間性、控え目な装飾などに特徴があり、機能性・合理性を重視する近代建築の理念を表現した。他の作品にカールスプラッツ駅舎、シュタインホフ教会堂などがある。



アルトゥール・シュニッツラー

医師から劇作家に転身。スタンリー・キューブリック監督、トム・クルーズ主演作『アイズ・ワイド・シャット』の原作となった『夢小説』を書いた。1000人以上の女性と関係を持ち、晩年まで全8000ページに
及ぶ日記に記していた。



ヘルミーネ・フーク=ヘルムート

オーストリアで大学に入学した最初の女性の1人で、フロイトの側近の1人。1913年にウィーン精神分析協会の一員となる。1919年には自身の日記を「ある若い娘の日記」として出版する。少女の成長とセックスの発見を書いた内容はフロイトが“小さな宝石”と呼んだ。



フランツ・クサファー・
メッサーシュミット

ドイツの彫刻家。1736年生まれ。1752年にウィーン美術アカデミーに入学。69年にウィーン・アカデミーの副教授になるが、妄想性精神病と診断され、1774年に離職。1777年に移り住んだブラスティラヴァで自己をモデルにしながら、さまざまな表情の奇妙な頭部像を制作し『性格表現の頭首像連作』を残した。



ドーラ・カルムス

写真家。20歳で『アトリエ・ドーラ』を開き、文化人や俳優、富裕層の女性たちのポートレイトを撮影した。フィルターを使い、ネガにリタッチするなど、様々な手法で顧客の要望に応え、ウィーンで人気の写真家として活躍した。



ウィーンのカフェ文化

2011年にはユネスコ無形文化遺産に登録された「ウィーンのカフェ文化」。1683年にオスマン帝国がウィーンを包囲の際に残されていたコーヒー豆を使い、カフェが始まったと言われる。カフェ文化が花開いたのは19世紀。1873年に開催された万国博覧会後のバブル崩壊で住宅難に陥った中、1杯のコーヒーで何時間でも利用できるため文人、芸術家、学生たちがリビング代わりにカフェを利用し、情報発信の場であり社交の場となった。作中で紹介されるカフェ・セントラルは文人カフェとして当時の雰囲気を残す老舗として愛されている。


スペイン風邪

第1次世界大戦中の1918年に始まったスペイン風邪(インフルエンザのパンデミックは、患者数は世界人口の25-30%、致死率は2.5%以上。死亡者数は全世界で4,000万人~1億人といわれている。18年3月に始まった第1波は致死性は低かったが、シーレが罹患したスペイン風邪の第2波は非常に重症でかつ短期間に死に至る例が多く致死率が25%を超えた。15~35歳の健康な若年者層においてもっとも多くの死がみられ、死亡例の99%が65歳以下の若い年齢層に発生するという、過去にも、またそれ以降にも例のない現象が確認されている。



ユーゲント・シュティール
(青春様式)

フランス・ベルギーのアール・ヌーヴォーに対応する言葉で、1896年にドイツで刊行された美術雑誌『ユーゲント』に由来し、ドイツ圏の世紀末芸術の傾向を指す。19世紀末から20世紀の初頭にかけて展開し、絵画や彫刻のほかにも、建築、室内装飾、家具デザイン、織物、印刷物から文学・音楽などに取り入れられた。



夢判断

フロイトが1900年に出した心理学書。夢を抑圧された願望の隠された表現ととらえ、自由連想法によりこれを分析・解釈する精神分析学の基本的立場を示す。


サロメ

ユダヤ王ヘロデ=アンテパスの姪で、その後妻ヘロデヤの娘。新約聖書によると、王の前で踊ったほうびに、バプテスマのヨハネの首を求めたという。1893年オスカー=ワイルドにより戯曲化,リヒャルト=シュトラウスにより楽劇化された。